「脱完璧主義」の前に気付くべきこと

ストレス蔓延る今日、精神的に疲れ切ってしまわないための手段として、完璧主義から脱却しようという考えがだんだんと広まっている。現代社会にストレスは大敵。この「脱完璧主義」の考えは一種の救済のように思えるが、我々は本当に完璧主義の魔の手から逃れることはできるのか。

完璧主義から脱却するための考え方の一つとして「8割志向」がある。「8割志向」とは、なんらかの課題に対して8割の完成度でもって一旦作業を「完了」とする考えのことである。日常の些細なことから仕事のことまで、あらゆるものが8割で済まされる、つまりはすべてのことに全力で取り組む必要はない、余力を持って作業を終えることが大切、という考え方だ。

さて、話を戻そう。我々は完璧主義の魔の手から逃れることはできるのか。結論から言うと、これはなかなかに難しい場合が多い。一歩外に出ればたちまち厳しい現実が襲い掛かるのである。

天敵の一つが「5問中3問課題」である。「5問中3問課題」とは「5問中3問は必須とし、残りの2問はオプションとする」課題のことである。オプション課題にも取り組めば評価が上がるという、学生ならば2万回は目にしたことがあるであろう課題種目である。

これに「8割志向」の考えを適用してみる。5問中8割こなせばいいわけだからつまり4問。これで必須課題と同時にさらにオプション課題1問だから上々のデキなのである。精神的にも非常に助かる。…そう、デキる人なら…。

ここからがこの記事の肝というか主張であるが、所謂デキない人が「8割志向」を取り入れるとどうなるか、これを考えてみる。デキる人とデキない人、これらの決定的な違いは100%のラインにあると私は考える。「5問中3問課題」においてはデキる人にとっては100%の力を発揮すれば5問解けることになるが、悲しいかな、デキない人にとっては100%のラインが必須課題の3問だけに適用されるのである。必死にやって3問解けるか解けないか、彼らはそのラインに立っているのである。なぜならデキないからである。

したがって、デキない人が「8割志向」を取り入れたところで3問中の8割、つまり2問強しか解けないことになり、必須の3問には届かない。デキる人が「5問中3問でもいいのに」と思っている裏で、デキない人は3問中3問、実質100%の力を発揮する必要があることになる。それはつまるところ「完璧主義」が求められるということなのである。

「脱完璧主義」の考えはだんだんと広まっているが、その裏に潜む100%ラインのすれ違いにはなかなか気付かれないことが多いように感じる。これは仕事や学校の課題にとどまらない。風呂を張って湯船につかること以前にシャワーだけでもすでに100%の力を要する人もいるし、朝の散歩だけでもと勧められても布団から出ることに100%の力を要する人もいる。世の中の人々がそれぞれに合った100%のラインに気付けるといいのになぁ…。